oldies but goodies

2010年11月3日水曜日

R.I.P. Sonia Pottinger


1965年、Lyndon O. Pottingerの妻ソニア・ポッティンジャー(Sonia Pottinger)は彼女のレーベルであるゲイ・フィート(Gay Feet)とハイ・ノート(High Note)のためにレコードのプロデュースを開始、ゲイ・フィート初リリースとなったのがジョー・ホワイト(Joe White)&チャック・ジョセフ(Chuck Joseph)の'Every Night'で、ババ・ブルックス(Baba Brooks)と彼のレコーディング・バンドから構成された'1st セッション(ファースト・セッション)'によるバッキングだった。この楽曲は大ヒットを記録しジャマイカのチャートを数ヶ月独占したほどだった。ソニアはこれまでに制作されたロックステディ楽曲の中でも最もエレガントな至上の楽曲をザ・フュージティブス(Fugitives)やリン・テイト&ザ・ジェッツ(Lynn Taitt & The Jets)のバッキングよってプロデュースしたのだった。コンカラーズ(Conquerors)の'Won't You Come Home'、エチオピアアンズ(Ethiopians)の'The Whip'、ゲイラッズ(Gaylad)の'ABC Rock Steady'や'It's Hard To Confess'、メロディアンズ(Melodians)の'A Little Nut Tree'や'Swing And Dine'、さらにはジョニー&ザ・アトラクションズ(Johnny & The Attractions)による卓越した'Let's Get Together'や'Cross My Heart'などがその一例に挙げられる。

ロックステディがレゲエにゆっくりと変わりゆくなか、ティップ・トップの勢いは止むことがなかった。メロディアンズ(Melodians)のメンバーだったブレント・ドーウィー(Brent Dowe)による'Bulid Me Up'、スコッティー(Scotty)による'Unbelievable Sounds'、デラーノ・スチュワート(Delano Stewart)による'Dance With Me'、'Don't Believe Him'、'That's Life'さらにはハイ・ノートで手本とのなるレゲエのリズム大半を演奏したヒッピー・ボーイズ(Hippy Boys)の'Doctor No Go'や'Reggae Pressure'などが発表された。そんな中、バニー'ストライカー'リー(Bunny 'Striker' Lee)といった他のプロデューサーたちは彼らの録音をティップ・トップ・レコード・センターにプレス/流通してもらうために手渡すようになり、バニー'ストライカー'リーを代表する作品であるスリム・スミス(Slim Smith)の'Everybody Needs Love'と'The Time Has Come'もハイ・ノートからリリースされた。

70年代中期に起きたルーツ革命は認められていたレコード・プロデューサーの多くを置き去りにし、彼らは時代遅れでキングストンのストリートで何が起きているかも分かっていないと見られるようになった。しかし、ソニア・ポッティンジャーはためらうことなくおびただしい数にわたる極上のシングルや傑作アルバムを掲げ前線で活躍し続けた。ボブ・アンディ(Bob Andy)の'Slow Down'や欠点のない'Ghetto Stays The Mind'を収録したアルバム'Lots Of Love & I'、カルチャー(Culture)による'Natty Never Get Weary'や'Stop The Fighting'、強烈なアルバム'Harder Than The Rest'、マーシャ・グリフィス(Marcia Griffiths)の'Stepping Out Of Babylon'に'Peaceful Woman'さらには威厳漂うアルバム'Steppin'などがその一例に挙げられるが、その他にもボビー・エリス(Bobby Ellis)をフィーチャーした'Stormy Weather'、'Shank I Sheck'がリリースされ、これらハイ・ノートを象徴する2つのインスト楽曲は70年代の幕締めとともにダンスホールのアンセムになった。

1974年、デューク・リードが癌で早すぎる死を迎えると、ソニア・ポッティンジャーはトレジャー・アイル(Treasure Isle)を引き継いだ。最初の狙いはトレジャー・アイルのスタジオを再建築することだったがその代わりに彼女はデューク・リードの音楽の多くを再発し始めたのだった。ジャスティン・ハインズ&ザ・ドミノズ(Justin Hinds & The Dominoes)による'From Jamaica With Reggae'、'Hottest Hits Volumes One'、'Hottest Hits Volumes Two'といったコンピレーション・アルバム、ロックステディの傑作ヴォーカルを程よくディージェイとミックスし、ダブのテクニックを駆使した12インチ盤ディスコ・ミックスのセレクションが見られるようになった。そのセレクションにはアルトン・エリス(Alton Ellis)の'If I Could Rule The World'や'I Can't Stand it'、センセーションズ(Sensations)のきらびやかな'Baby Love'などが挙げられる。もちろん、アルトン・エリスとUロイ(U Roy)による'Ain't That Loving You'、シルバートーンズ(Slivertones)による'True Confession'といった7インチのシングル一連はトレジャー・アイル、ボンド・ストリートの音を現存させ続けた。

80年代中期、音楽業界から身を引いたソニア・ポッティンジャーは2004年10月、ジャマイカ音楽、芸術、文化への貢献が讃えられジャマイカ政府よりOD(Order of Distinction)が授与されている。

EVERY NIGHT / JOE WHITE & CHUCK ( GAY FEET )
ジャマイカで最初の女性音楽プロデューサー、ミス・ソニア・ポッティンジャーが2010年11月3日
にお亡くなりになられました。享年79歳 また一人ジャマイカのスターが亡くなってしまって悲しいです。GAY FEETからリリースされているレコードをこれからも重宝していきたいと思います。今日は是非彼女自身一番のお気に入りの曲でGAY FEETで一番の大ヒット曲"EVERY NIGHT "でも聴いて下さい・・・ とても切ないジャマイカン・バラードにきっと心打たれるはずです・・・

0 件のコメント:

コメントを投稿