oldies but goodies

2010年12月9日木曜日

HAPPY CHRISTMAS ( WAR IS OVER )

           

元ビートルズのメンバ-ジョン・レノンが射殺されてから昨日でちょうど30年・・・マイケルもそうだけど、この人も世界中にファンがいて今なお愛されているミュージシャンの一人だなって改めて思った。世界各地で追悼イベントがあっているみたいだし。レゲエでも数多くカバー曲あるしな~
今日はクリスマスに近い事もあって前回に引き続き&戦争のない平和な世の中を祈って・・・

2010年12月6日月曜日

HAPPY CHRISTMAS

HAPPY CHRISTMAS / HOPETON LEWIS ( MERRITONE )
 もうすぐクリスマスっていう事でクリスマスチューンを選曲してみました。SAM MITCHELLプ
ロデュースによる珠玉のクリスマスロックステディ-。演奏ももちろん素晴らしいですがHOPE
TON LEWISの声が最高ですので是非聴いてみて下さい。

2010年11月29日月曜日

PASSING THROUGH

PASSING THROUGH / ROLAND ALPHONSO ( ROLANDO & POWIE )
今日紹介するのは個人的に大変重宝しているレコードです。まさにオーセンティックキラースカ最高峰!!!! このオリジナル盤を探すのに大変苦労しました。多分殆ど市場に出てこないと思います(まだオークションなどで見た事ありません)。それとJA MATRIXは同じですが1973年に"IRON SIDE"レーベルから"COCONUT ROCK"というタイトルで2NDがリリースされてます。

2010年11月22日月曜日

EASTER BUN

EASTER BUN / ROLAND ALPHONSO & THE CITY SLICKERS ( ALL STARS )
 コクソンプロデュースによる初期(1961年)の作品。ザ・シティ・スリッカーズバンドとのセッションっていうのもいいですね。この時期のインストはJAZZYな感じの作品が多いです。まあコクソンがJAZZ好きっていうのもあるんでしょうけど・・・自分はJAZZが好きなのでこの辺はやられます(笑)それにローランド・アルフォンソのテナーはいつ聴いても最高ですね。

2010年11月15日月曜日

INVISIBLE SKA

INVISIBLE SKA / THE CHECKMATES ( COXSONE BLANK )
 ブログさぼり気味ですいません。最近は何かとする事が多くて・・・久しぶりの更新になりますがどうかお許し下さい・・・気づけばあっという間に11月に突入し、いよいよ寒むさが本格的になってきた所ですが(冬に突入するんで当たり前なんでしょうけど)もう肌寒いっていうレベルじゃないです。自分は寒いのが苦手なので早く暖かくなるのを祈ってます(笑)
 
 今日紹介するレコードは哀愁ただようトランペットが優しく心に残るコクソンプロデュースのスカインストです。何かのカバーだとは思いますが・・・詳細は分かりません(知っている方は教えて下さい)聴いて頂ければ分かると思いますが音程が少し危なっかしいです(笑)JAオリジナルの方がUK盤と違ってメリハリのきいた音がでてます。

2010年11月3日水曜日

R.I.P. Sonia Pottinger


1965年、Lyndon O. Pottingerの妻ソニア・ポッティンジャー(Sonia Pottinger)は彼女のレーベルであるゲイ・フィート(Gay Feet)とハイ・ノート(High Note)のためにレコードのプロデュースを開始、ゲイ・フィート初リリースとなったのがジョー・ホワイト(Joe White)&チャック・ジョセフ(Chuck Joseph)の'Every Night'で、ババ・ブルックス(Baba Brooks)と彼のレコーディング・バンドから構成された'1st セッション(ファースト・セッション)'によるバッキングだった。この楽曲は大ヒットを記録しジャマイカのチャートを数ヶ月独占したほどだった。ソニアはこれまでに制作されたロックステディ楽曲の中でも最もエレガントな至上の楽曲をザ・フュージティブス(Fugitives)やリン・テイト&ザ・ジェッツ(Lynn Taitt & The Jets)のバッキングよってプロデュースしたのだった。コンカラーズ(Conquerors)の'Won't You Come Home'、エチオピアアンズ(Ethiopians)の'The Whip'、ゲイラッズ(Gaylad)の'ABC Rock Steady'や'It's Hard To Confess'、メロディアンズ(Melodians)の'A Little Nut Tree'や'Swing And Dine'、さらにはジョニー&ザ・アトラクションズ(Johnny & The Attractions)による卓越した'Let's Get Together'や'Cross My Heart'などがその一例に挙げられる。

ロックステディがレゲエにゆっくりと変わりゆくなか、ティップ・トップの勢いは止むことがなかった。メロディアンズ(Melodians)のメンバーだったブレント・ドーウィー(Brent Dowe)による'Bulid Me Up'、スコッティー(Scotty)による'Unbelievable Sounds'、デラーノ・スチュワート(Delano Stewart)による'Dance With Me'、'Don't Believe Him'、'That's Life'さらにはハイ・ノートで手本とのなるレゲエのリズム大半を演奏したヒッピー・ボーイズ(Hippy Boys)の'Doctor No Go'や'Reggae Pressure'などが発表された。そんな中、バニー'ストライカー'リー(Bunny 'Striker' Lee)といった他のプロデューサーたちは彼らの録音をティップ・トップ・レコード・センターにプレス/流通してもらうために手渡すようになり、バニー'ストライカー'リーを代表する作品であるスリム・スミス(Slim Smith)の'Everybody Needs Love'と'The Time Has Come'もハイ・ノートからリリースされた。

70年代中期に起きたルーツ革命は認められていたレコード・プロデューサーの多くを置き去りにし、彼らは時代遅れでキングストンのストリートで何が起きているかも分かっていないと見られるようになった。しかし、ソニア・ポッティンジャーはためらうことなくおびただしい数にわたる極上のシングルや傑作アルバムを掲げ前線で活躍し続けた。ボブ・アンディ(Bob Andy)の'Slow Down'や欠点のない'Ghetto Stays The Mind'を収録したアルバム'Lots Of Love & I'、カルチャー(Culture)による'Natty Never Get Weary'や'Stop The Fighting'、強烈なアルバム'Harder Than The Rest'、マーシャ・グリフィス(Marcia Griffiths)の'Stepping Out Of Babylon'に'Peaceful Woman'さらには威厳漂うアルバム'Steppin'などがその一例に挙げられるが、その他にもボビー・エリス(Bobby Ellis)をフィーチャーした'Stormy Weather'、'Shank I Sheck'がリリースされ、これらハイ・ノートを象徴する2つのインスト楽曲は70年代の幕締めとともにダンスホールのアンセムになった。

1974年、デューク・リードが癌で早すぎる死を迎えると、ソニア・ポッティンジャーはトレジャー・アイル(Treasure Isle)を引き継いだ。最初の狙いはトレジャー・アイルのスタジオを再建築することだったがその代わりに彼女はデューク・リードの音楽の多くを再発し始めたのだった。ジャスティン・ハインズ&ザ・ドミノズ(Justin Hinds & The Dominoes)による'From Jamaica With Reggae'、'Hottest Hits Volumes One'、'Hottest Hits Volumes Two'といったコンピレーション・アルバム、ロックステディの傑作ヴォーカルを程よくディージェイとミックスし、ダブのテクニックを駆使した12インチ盤ディスコ・ミックスのセレクションが見られるようになった。そのセレクションにはアルトン・エリス(Alton Ellis)の'If I Could Rule The World'や'I Can't Stand it'、センセーションズ(Sensations)のきらびやかな'Baby Love'などが挙げられる。もちろん、アルトン・エリスとUロイ(U Roy)による'Ain't That Loving You'、シルバートーンズ(Slivertones)による'True Confession'といった7インチのシングル一連はトレジャー・アイル、ボンド・ストリートの音を現存させ続けた。

80年代中期、音楽業界から身を引いたソニア・ポッティンジャーは2004年10月、ジャマイカ音楽、芸術、文化への貢献が讃えられジャマイカ政府よりOD(Order of Distinction)が授与されている。

EVERY NIGHT / JOE WHITE & CHUCK ( GAY FEET )
ジャマイカで最初の女性音楽プロデューサー、ミス・ソニア・ポッティンジャーが2010年11月3日
にお亡くなりになられました。享年79歳 また一人ジャマイカのスターが亡くなってしまって悲しいです。GAY FEETからリリースされているレコードをこれからも重宝していきたいと思います。今日は是非彼女自身一番のお気に入りの曲でGAY FEETで一番の大ヒット曲"EVERY NIGHT "でも聴いて下さい・・・ とても切ないジャマイカン・バラードにきっと心打たれるはずです・・・

2010年11月2日火曜日

ワールドシリーズ制覇


サンフランシスコ・ジャイアンツは1日、ワールドシリーズ第5戦でテキサス・レンジャーズに3対1で勝利。対戦成績を4勝1敗とし、56年ぶりのワールドシリーズ制覇を果たした。東海岸のニューヨークから西海岸のサンフランシスコに移転して以後では初優勝となった。

 試合はジャイアンツがティム・リンスカム、レンジャーズがクリフ・リーと両エースが好投して投手戦に。しかしジャイアンツは7回にエドガー・レンテリア遊撃手が値千金の3ランを放って先制。その裏にリンスカムがネルソン・クルーズ外野手にソロアーチを浴びたが、反撃をその1点に抑え、最後は守護神ブライアン・ウィルソン投手が締めくくった。

リンスカムナイスピッチング!!!さすが二年連続サイ・ヤング賞投手!!!リアルタイムで見れなかったんで後で録画見よ。選手層の厚さからみてもレンジャーズ有利かなって思ってたけど、やっぱりジャイアンツはフィリーズに勝った勢いがあったような気がする・・・それに若い選手が育って、今や主力として活躍してるから、これから先絶対強くなると思った。いや~それにしてもジャイアンツの投手陣やばいな~レンジャーズの打線を二度も完封するなんて・・・



2010年10月27日水曜日

NO MORE



レコード取引で縁があったお取引相手の方(京都にお住まいのS様)が本日レコードを廻すそうですので勝手ですが出演されるイベントをインフォメーションしときます~京都近辺にお住まいの方は是非行って下さい。それとカップルで出かけてチークダンスっていうのもいいんではないでしょうか?(笑) きっとセレクターのお三方が珠玉のVINYLをプレイしてくれるはずです~俺も酒井誘って行こうかな。いや~それにしても遠すぎるな~涙

2010年10月24日日曜日

リーグ3連覇ならず・・・

【投手】
(ジ)J・サンチェス、アフェルト、バムガーナー、ロペス、リンスカム、ウィルソン-ポージー
(フ)オズワルト、マドソン、リッジ-ルイス

【責任投手】
(勝)ロペス1勝
(S)ウィルソン3S
(敗)マドソン1敗

【本塁打】
(ジ)ウリベ1号ソロ
(フ)

【戦評】
 ナ・リーグ優勝決定シリーズ(7回戦制)のフィリーズ(東地区1位)-ジャイアンツ(西地区1位)第6戦は、ジャイアンツが3-2で勝ち、通算成績を4勝2敗とし、8年ぶりのリーグ優勝を決めた。
 ジャイアンツは0-2の三回にハフの適時打などで同点に追いつき、小刻みな継投でフィリーズに追加点を許さなかった。八回にウリベがソロ本塁打を放ち勝ち越し、最後はウィルソンがリードを守りきった。

 

ジャイアンツ、渋い脇役が確かな存在感


 1点リードの九回2死一、二塁。抑えのウィルソンが4番ハワードを見逃し三振に仕留めると、ジャイアンツナインがマウンドに駆け寄った。敵地で決めた、8年ぶりのリーグ優勝。悲鳴のような歓声の後訪れた静寂の中、選手らは互いに抱き合って喜びを分かち合った。

 先発J・サンチェスが制球難で一回に2点を失うと、ボウチー監督は三回途中で左腕に見切りをつけた。八回から登板したエースのリンスカムも、連打を浴びるとすぐに交代。早めの継投が決まり、2番手以降は無失点だった。序盤の死球で両軍が一触即発の緊張感に包まれる中、迷いのない采配にプレーで応えた選手を指揮官は「全員が勝利に貢献してくれた」とねぎらった。

 総力戦は、打線も同じだった。決勝点となる勝ち越し弾を放ったのは、第4戦で左手首を痛めながらサヨナラ犠飛を決めた7番打者のウリベ。外角球を逆方向の右翼席ぎりぎりに運んだ一発を「打てて良かった。本当に勝ちたかったんだ」と興奮気味に振り返った。

 シリーズ3本塁打5打点でMVPに選ばれたロスをはじめ、活躍したのはスターと呼ぶには程遠い選手たちばかり。渋い脇役が確かな存在感を発揮し、ジャイアンツがワールドシリーズの舞台までたどり着いた。


フィリーズ敗退、地元ファンからため息


 満員の地元ファンから、繰り返しため息がもれた。フィリーズは何度も得点圏に走者を進めながら一回の2点のみに終わり、リーグ3連覇を逃した。

 九回2死一、二塁でフルカウントから見逃し三振に倒れ、最後の打者となったハワードは「低いと思った。あんな形でシーズンが終わるのはつらい。みんな全力で戦い抜いたが、届かなかった。ショックを感じている」と肩を落とした。

 投打のバランスが良く、レギュラーシーズンでは30球団トップの97勝をマークした。マニエル監督は「ワールドシリーズに勝つことが目標だったのだから、選手は落胆している。だが、これでもっと力をつけようと考えるし、それができる能力を持ったチームだ」と早くも来季に目を向けた。

フィラデルフィア3連覇ならず・・・めちゃくちゃ悔しい・・・ジャイアンツの中継ぎ左腕3人を打ち崩せんかったのが敗因と思う。そらアトリー、ハワード、ワースが打てなかったから負けるわな。来年こそはワールドシリーズに進出するよう頼むぞ!!!来年フィリーズがワールドシリーズ進出したらフィラデルフィアに応援行こうっと(笑)よし!!こうなったら元広島カープで活躍したルイス投手のいるテキサス・レンジャーズを応援しよう。クリフ・リーもおるし!!てか今日はやけ酒じゃ!!!!(笑)


シャンパンファイトして~日本はビールかけが主流だからな~ビールかけはやった事あるけど

2010年10月15日金曜日

SOUL STATION


HANK MOBLEY が BLUENOTE に残した作品は数多いのですが、その中でもこの
SOUL STATION (BLP 4031) , ROLL CALL (BLP 4058) , WORK OUT (BLP 4080) は
HANK MOBLEY 3部作と呼ばれジャケットの素晴らしさもあいまって非常に人気の高い
作品です。中でもこの SOUL STATION は HANK MOBLEY (TENOR SAX) , WYNTON
KELLY (PIANO) , PAUL CHAMBERS (BASS) , ART BLAKEY (DRUMS) という HANK
MOBLEY のワン・ホーン・カルテットによる吹込みであり、一番人気の高い名盤です。
(私もHANK MOBLEYのアルバムの中で一番好きな作品です)ちなみにこのアルバム
のセッションは1960年2月7日に行われています。

その中でも1曲目のREMEMBERは特に好きな曲です。この曲はもともと甘いボーカル
付きで歌われることが多い曲らしいですが、これは非常に楽しい楽曲になっています。
HANK MOBLEYというとMILES DAVISのSOMEDAY MY PRINCE WILL COME の
へたくそな方のテナー奏者という烙印が押されてしまい残念ですが、このアルバムで
演奏しているHANK MOBLEYは気楽で非常にのびのびとした演奏をしているように
思います。

その中でも1曲目の REMEMBER は特に好きな曲です。この曲はもともと甘いボーカル付きで歌われることが多い曲らしいですが、これは非常に楽しい楽曲になっています。HANK MOBLEY というと MILES DAVIS の SOMEDAY MY PRINCE WILL COME のへたくそな方のテナー奏者という烙印が押されてしまい残念ですが、このアルバムで演奏している HANK MOBLEY は気楽で非常にのびのびとした演奏をしているように思います。

HANK MOBLEY は1930年生まれのジャズ・テナー・サックス奏者です。 MAX ROACH とのセッションの後、1955年に初代 JAZZ MESSENGERS のテナー・サックス・プレーヤーに抜擢されました。 BLUENOTE での吹き込みが多いのですが、そこで知り合ったPAUL CHAMBERS や WINTON KELLY の紹介で MILES DAVIS のバンドにも参加しています。残念ながら MILES DAVIS との吹込みでは本領を発揮できませんでしたが BLUENOTE でのリーダー作には素晴らしいものが多く、日本でも熱心なファンが多いと思います。1970年代前半に肺を患って前線から遠ざかっていましたが、1986年の5月30日に55歳の若さでお亡くなりになられております。モブリーはレナードフェザーによって「テナーサクソホンのミドル級チャンピオン」と言われました。そして、比喩がジョンコルトレーンほど積極的でもなくスタンゲッツほど柔らかくもなかった彼のトーンを説明するのに用いられました。そのうえ、彼のスタイルが気楽で、微妙で旋律的だったので、特にソニーロリンズとジョンコルトレーンのようなプレーヤーとは対照的に、過小評価されていたそうです。

2010年10月11日月曜日

PLEDGING MY LOVE

  

  Forever my darling our love will be true
     Always and forever I'll Love only you
     Just promise me darling your love in return
     May this fire in my soul dear foever burn

     My heart's of your command dear
   To keep love and to hold
     Making you happy is my desire dear
   Keeping you is my goal

   I'll forever love you
   For the rest of my days
   I'll never part from you
  Or your loving ways
       Just promise me darling your love in return
       May this fire in my soul dear forever burn

       My heart's of your command dear
    To keep love and to hold
       Making you happy is my desire dear
    Loving you is my goal

    I'll forever love you
    For the rest of my days
    I'll never part from you
  Or your loving ways
Just promise me darling your love in return
May this fire in my soul dear forever burn
                       
 
   PLEDGING MY LOVE - FREDDIE McGREGOR ( IRON SIDE )
今日紹介するレコードはその当時将来を有望視されていたが僅か25歳の若さで亡くなったR&Bアーチスト、JOHNNY ACEの曲でPLEDGING MY LOVEです。この曲は彼が亡くなった翌55年に10週連続R&Bチャート1位を記録し、数多くのアーチストにカバーされています。マーヴィン・ゲイ&ダイアナ・ロス、アーロン・ネヴィル、エルビス・プレスリー、JAMAICAではジョン・ホルトやフレディーもカバーしています。私はジョン・ホルトのカバーよりもフレディー・マグレガ-のカバーが好きです。一度オリジナルと聴き比べてみて下さい。

2010年10月10日日曜日

TRIBUTE TO ALTON ELLIS

MURIEL - ALTON & EDDY  ( WORLDISC )
今日は'Mr. Soul Of Jamaica’と称されるその艶やかなソウル・スタイルのヴォーカルで、スカ、ロックステディからアーリー・レゲエ期に多数の名作を残したジャマイカを代表する正統派シンガーアルトン・エリスが亡くなって二年になりますね・・・全国各地でアルトンを追悼するイベント等が行われている事でしょう。二年たった今でもレゲエファン、セレクター、サウンドマンなどレゲエを愛してやまない人々に最も愛されているアーチストではないでしょうか?私もその一人です。そこで今日はアルトン自身が一番大好きだと言っていた曲を紹介します。この曲はとても有名で説明不要かと思いますが一応・・・・トレンチタウンの友人ジョージが作曲し1957年に録音され、1959年に発表されたラブソング「ミュリエル ("Muriel")」が彼らのデビュー作となり、ジャマイカとイギリスでヒットした。なお「ミュリエル」はプロデューサーのコクソン・ドッドにとっての最初のヒット曲でもあり、録音時のミュージシャンであるジョニー・ムーア、ロイド・ニブ、ロイド・ブリヴェット、ローランド・アルフォンソらは、後に結成されるスカタライツの主要メンバーとなった。また、エリスは後年コンサートでこの曲を歌うときには「この曲が一番好きなんだ」というMCをしばしば入れていた。
アルトン&エディは「ミュリエル」の他に「マイ・ヘヴン ("My Heaven")」、「ララバイ・エンジェル ("Lullabye Angel")」、「アイ・ノウ・イット・オール ("I Know It All")」、「アイム・ネヴァー・ゴナ・クライ ("I'm Never Gonna Cry")」、「ユアーズ ("Yours")」の少なくとも5曲をドッドの元で、「マイ・ラヴ・ディヴァイン ("My Love Divine")」など数曲をランディーズで録音した。

 I KNOW IT ALL - ALTON & EDDY ( WORLDISC ) 

I AM NEVER GONNA CRY - ALTON & EDDY ( WORLDISC )
しかし、国際的ヒット曲となった「ミュリエル」に対して支払われたギャランティーがわずか15ポンドであったなど、ドッドから十分な報酬が受け取れなかったことに失望したエリスは、一時的に音楽の世界から離れ、キングストンの印刷会社スティーブンズ・プリンター社で2年間印刷工の仕事に就いた。エリスが音楽から離れている間、パーキンスはジャマイカのタレントショー『スター・イズ・ボーン ("A Star Is Born")』に優勝し、アメリカ合衆国の人気テレビ番組『エド・サリヴァン・ショー』に出演する機会を得てアメリカに長期滞在したため、アルトン&エディのデュオは自然消滅となってしまった。
エリスはデュオ解散後も印刷会社で働いていたが、歌手になるという夢を諦めきれず、ある日オーディションを受けるため会社を無断欠勤してしまう。エリスはこれを理由に印刷会社を解雇されてしまったが、それを期に音楽活動にさらに没頭するようになる。1964年ごろエリスはジョン・ホルトとのデュオを結成し、ランディーズへ「ラム・バンパー ("Rum Bumper")」など数曲を残した。しかしホルトはパラゴンズ (The Paragons) の新メンバーとして引き抜かれてしまったため、エリスとホルトとのコンビは短命に終わった。そのためエリスは弟のレスリーと、友人のノエル・"スカリー"・シムズ、ベイビーG、ロニーと共に新しいグループ、アルトン・エリス&ザ・フレイムス (Alton Ellis & The Flames) を結成、同時にスタジオ・ワンからデューク・リードのトレジャー・アイルへとレーベルを移籍し、「ドント・トラブル・ピープル ("Don't Trouble People")」、「ダンス・クラッシャー ("Dance Crasher")」、「クライ・タフ ("Cry Tough")」といった楽曲を発表し、ヒットさせた。この時期のジャマイカの音楽業界では性急なテンポを特徴とする新たなジャンル・スカが誕生し、ウェイラーズやプリンス・バスター、デリック・モーガンによる攻撃的なルードボーイ賛歌が人気を博していたが、アルトン・エリス&フレイムスによる上記楽曲群は彼らとは対照的に平和とアンチ・ルードボーイを訴えたものだった。
なお、レーベル移籍によって心機一転を計ったエリスであったが、金銭的には不遇なままであった。

 

ロックステディの創始者として



エリスが1965年12月にトレジャー・アイルに録音した「ガール・アイヴ・ガット・ア・デート ("Girl I've Got a Date")」はテンポこそスカと同様のアップテンポだが、スカの特徴であるウォーキングベース(ベースが均等に4分音符を弾く奏法)ではなくシンコペーション感覚のあるベースラインがあり、その特有のフィーリングをもって最初のロックステディ楽曲の一つと広く認識されている。同楽曲が1966年にジャマイカのラジオチャート一位を獲得して以降、ジャマイカでは約2年間スカよりも遥かに遅いテンポと甘い雰囲気を持つ音楽ロックステディが流行したが、この2年間はエリスの黄金期と一致する。なお、このジャンル名自体も1966年にエリスが発表した「ロックステディ ("Rocksteady")」という楽曲に由来している。
この時期、エリスは自ら「(ロックステディの)最終到着地点」と評した「ブレイキング・アップ (イズ・ハード・トゥ・ドゥ)("Breaking Up (Is Hard To Do) ")」をはじめとする多くのオリジナル曲を発表したほか、タイロン・デイヴィス (Tyrone Davis)「キャン・アイ・チェンジ・マイ・マインド (Can I Change My Mind)」、ジーン・チャンドラー (Gene Chandler)「デューク・オブ・アール (Duke of Earl)」、ルー・ロウルズ「エイント・ザット・ラヴィン・ユー ("Ain't That Loving You")」、デルフォニックス (The Delfonics) 「ララは愛の言葉 (La-La (Means I Love You))」、プロコル・ハルム「青い影」、チャック・ジャクソン (Chuck Jackson)「ウィロー・ツリー ("Willow Tree")」といった英米音楽のカバーや、フィリス・ディロン (Phyllis Dillon) やヘプトーンズ (The Heptones) 、妹ホーテンス・エリス (Hortense Ellis) とのデュエットなど、ラブソングを中心に多彩な作品を発表した。
トレジャー・アイルでのエリスの人気ぶりに目をつけたコクソン・ドッドは好条件での再契約を申し入れ、1967年1月にこれを受け入れたエリスは、同年初頭にスタジオ・ワンのセッション・バンドであるソウル・ヴェンダーズとバッキングボーカルのケン・ブースを帯同し3ヶ月間イギリスに滞在、ツアーとレコーディングを行った。この時の録音はエリスのファースト・アルバム『シングス・ロック&ソウル ("Alton Ellis Sings Rock & Soul")』としてスタジオ・ワンから同年の内に発表された。しかし、このツアー後、再び金銭面でドッドと揉めたエリスは、腹いせにリン・テイト&ザ・ジェッツ、スーパーソニックスらとともに自らの異名を冠したアルバム『ミスターソウルオブ・ジャマイカ ("Mr Soul Of Jamaica")』を制作し、すぐにトレジャー・アイルから発表した。これを契約不履行として激怒したドッドはリードを相手取り訴訟を起こしたため、エリスは出廷を避けるためにアメリカ合衆国に逃亡した。3ヶ月後、エリスが自身の母親の訃報を受け帰国するとドッドの訴訟は取り下げられており、エリスはドッドと和解した。以後エリスはスタジオ・ワンとトレジャー・アイルという当時ライバル関係にあった2大レーベル双方で作品を発表できる数少ないアーティストの一人となった。

 

レゲエ誕生後の活動



1967年から1968年にかけて新たな音楽ジャンルであるレゲエが誕生し、メッセージ性の高いプロテストソングやDJによるトースティングといった新しい音楽のスタイルが流行すると、ラブソングを得意としたエリスも作風を変化させ、1970年にはロイド・デイリー (Lloyd Daley) のマタダー・レーベル (Matador) から都市部での貧困を歌った「ロード・デリヴァー・アス ("Lord Deliver Us")」を、1971年にはスタジオ・ワンからアフリカ回帰を呼びかけた「バック・トゥ・アフリカ ("Back to Africa")」を発表し、それぞれをヒットさせた。
この時期、レゲエの誕生により音楽産業がさらに発展したジャマイカでは、新しいレーベルが多く誕生したため、エリスはドッドやリードだけではなく、キース・ハドソン (Keith Hudson)、ソニア・ポッティンジャー (Sonia Pottinger)、バニー・リー、ハーマン・チン・ロイ (Herman Chin Loy)といったプロデューサーとも録音を行った。さらにエリス自身も「エリス (Ellis)」レーベルを設立し、自らの「マイ・タイム・イズ・ライト・タイム ("My Time Is The Right Time")」や「ザ・メッセージ ("The Message")」をプロデュースした。

 

渡英



1967年の初渡英以来、エリスは定期的に渡英しイギリスのプロデューサーとも仕事をしていたが、3年をカナダで過ごした後、1972年からイギリス・ミドルセックス州ノーソルト (Northolt)に移り住み、サウスロンドンに自らのレーベル兼レコード店オールトーン (All Tone) を設立した。
1977年にはトニー・ガッドの紹介で当時はまだ無名だったジャネット・ケイ (Janet Kay) を見出し、ミニー・リパートン「ラヴィン・ユー」のラヴァーズ・ロック版カバーをプロデュースし、オールトーン・レーベルから発表。同楽曲は全英レゲエチャート1位を記録する大きなヒットとなった。
1980年代に入り、ダンスホールレゲエの時代になっても、エリスはキング・ジャミーやヘンリー・ジュンジョ・ローズ (Henry "Junjo" Laws)、シュガー・マイノットなどのプロデューサー達とレコーディングを行い、1982年にはビートルズ「アンド・アイ・ラヴ・ハー」のカバーを発表した。

 

晩年の活動



1990年代、2000年代には新曲の発表こそ減少したものの、ライブを中心に活発に活動した。1994年には長年の音楽的功績を称えられ、ジャマイカ政府によってジャマイカ名誉勲章が授与された。
2001年にはフランスのバンドASPO (fr:About some Precious Oldies) とともにヨーロッパツアーを行い、その際のボルドー公演を録音したエリス唯一のライブ盤『ウィズASPO ("Workin' on a Groovy Thing")』を発表した。
さらに2002年には日本のバンドDreamletsと共演しアルバム『Lovely Place』を発表した。
2006年にはインターナショナル・レゲエ・アンド・ワールドミュージック・アワード殿堂入りを果たし、ニューヨーク市ハーレムのアポロシアターで記念式典に出席した。

 

闘病生活と死



2007年12月、エリスは悪性リンパ腫(血液のがん)と診断され、ロンドンの病院に入院した。しかし、化学療法と投薬治療が一定の効果を挙げ病状が安定したため、一ヶ月ほどで退院しライブを行うなどの音楽活動を再開した。
2008年6月25日にはジャマイカ・キングストンの国立体育館で情報・文化・青少年・スポーツ大臣オリビア・グランジの主催するコンサート「ゲット・レディ・トゥ・ロックステディ」に出演し、10曲を披露した。しかし、エリスは同年8月のロンドン公演中に倒れ、ウェスト・ロンドンのハマースミス病院に再入院し、10月10日にがんのため死去した。
エリスの死に対し、オリビア・グランジ大臣は「偉大なアルトン・エリスを弔うとき、ジャマイカのポピュラー音楽の発展における彼の記念碑的な貢献に感謝を表さずにはおれません」と弔辞を述べた。
11月3日、ジャマイカ・キングストン市ダウンタウン地区で葬儀が執り行われ、エリスの家族やジャマイカ政府関係者、ファン、さらにウィンストン・フランシス、ジョージ・ヌークス (George Nooks)、トニー・グレゴリー、ケン・ブース、ジュディ・モワット (Judy Mowatt)、カーリーン・デイヴィス (Carlene Davis) など多くの音楽関係者が参列し、エリスに捧げる追悼ライブを行った。

2010年10月4日月曜日

COOL NIGHT

COOL NIGHT - THE JAMAICANS / BOOM (JA MATRIX # WIRL 3360-1)

更新サボり気味ですいません。久々になってしまいましたが昨日元横綱朝青竜の引退相撲&断髪式がありました。相撲ファンの私にとっては悲しい話です・・・まあ彼の問題行動は今の相撲協会の不祥事からしたら大した事はないと思いますが世間様の目は厳しいみたいですな・・・あれくらい大目に見ろっていうのが個人的な意見です。

話は変わりますが最近朝晩冷え込んできましたね。つい最近までの暑さは何処にいったんでしょうか???そこで今日紹介するレコードはこの季節にピッタリのロックステディ-" COOL NIGHT "です。このレコードにクレジットされているリン・テイト氏(今年お亡くなりになられましたが)自身の制作による物です。演奏も素晴らしく鳥肌物でまさにタイトル通りのクール・ロックステディ-です。それと同時にJAMAICANSのハーモニー,コーラスワークもヤバいので是非一度聴いてみて下さい。近々廻す機会があればかけます・・

2010年9月24日金曜日

10年連続200本安打


◆ブルージェイズ1―0マリナーズ(23日・トロント) マリナーズのイチロー外野手(36)が23日、敵地トロントのブルージェイズ戦で、大リーグにデビューした2001年から10年連続でのシーズン200安打を達成。自らが昨季、成し遂げた9年連続の大リーグ記録を更新するとともに、達成回数でピート・ローズ(レッズなど)の持つ最多記録「10」に並んだ。
 イチローはクラブハウス内で、いつもの試合後と同じように自分のロッカーの前で取材に応じた。淡々とここまでの歩みを振り返った。
 ―記録達成。
  「チームメートがみんな祝福してくれて、あっ、喜んでいいんだなと思った。2年前のこと(一部地元メディアの批判的な報道)がトラウマ(心的外傷)になってるから。ちょっとほっとした」
 ―達成感はあるか。
  「あるある。ただ、表現しづらいというだけ」
 ―今季は目標ではないと言ってきた。
  「2年前は目標にすることすら否定されて、今度は目標としていないのになんか変な感じですよね」
 ―200安打10度でローズに並んだ。
  「ぜひ超えてあげたいですね」
 ―200安打への思いは変わらないか。
  「簡単じゃないことは僕が一番知っている。それなりの思いがある」
 ―10年の重みは。
  「1年目のスプリングトレーニングで『彼からヒットを打てると思いますか』という質問が飛んできた。いまはヒットが出ないと『何で出ないのか』という質問に変わった。そういう状況をつくれたのはすごく良かった。周りを変化させられたことに対してはちょっとした気持ち良さがある」
 ―投手有利と言われる今季も記録を伸ばした。
  「僕の中にオプション(選択肢)があるのは武器になる。対応の引き出しが幅を生む。それがないと新しいものが現れたら対応は難しい」
 ―ここまでの道のりの苦しさについて。
  「すごく苦しい。純粋にプレーだけさせてもらったらそんなにしんどくない。楽ではないけどね」

■感情を出すことへの恐れ

 
  2年前、一部のチームメートから、「チームの勝利よりも記録を優先する自分勝手な選手だ」と決めつけられ、あらぬ目を向けられた。それは、「自分のことができて、初めてチームに貢献できる」というイチローの哲学が揺らぐほどのもの。結果としてイチローは、殻にこもり、自分の感情を出すことを恐れるようになっていった。

 昨年、その殻をケン・グリフィーが強引にこじ開けたのだが、その彼はすでに引退し、今年もチームは100敗をうかがう勢い。イチローは記録が近づいて身構えた。

 一連の経緯を聞いて、「そんなに悩んでいたのか?」と話したのは、デービッド・アーズマ。彼は、「2年前のことはいなかったので分からない」としながらも、こう言った。

「プレーオフに出られない状況になったときこそ、気を引き締めて、僕らはプレーしなくちゃいけない。そんな中でイチローは、ヒットを打つという彼の仕事をしているまでだ。最悪なのは、プレーオフに出られないからといって手を抜いたりすること。それこそ、自分勝手な選手だ」

 ブルペンで、人一倍胸を張って万歳をしていたブライアン・スウィーニーも、「そんなことがあったのか」と暗い顔を見せたあと、「心配する必要なんてないのに」と言ったが、少し考えて絞り出すように続けた。

「そういう孤独を感じながらプレーし、200安打に達したのだとしたら、さらにすごい」

 彼はこんな例え話をした。

「1マイル(約1.6キロ)を一人で歩くと、長く感じるだろ。でも、仲のいい友だちや子どもと歩けば、1マイルなんてすぐだ。イチローは、本来短い道のりを、何倍もの距離に感じながら、たった一人で道を歩いていたんだろうか」

 

■一番の“発見”は仲間の祝福


 いや、イチローにも仲間はいたかもしれない。マラソンに例えれば、最初はグリフィーやマイク・スウィーニーが、ペースメーカーだった。

 しかし、彼らが途中で離脱。そのあと、イチローと伴走できる選手はいなかった。今年のチームメートは2年前とは違う。イチローが振り向くことができれば、並びかけてくる選手はいたかもしれない。しかし、2年前の視線が気になり、イチローは振り返る勇気を持たなかった。

 だからこそ、ブルペンの万歳はイチローの胸を打った。

 試合後の会見途中、フェリックス・ヘルナンデスが、「おめでとう」とわざわざ言葉を掛けに来た。

 それもイチローにとっては、特別な意味を持ったはず。2年前には、アンチ・イチロー派に、彼もまた抑制されていた。この日、わずか2安打で敗戦投手になったにもかかわらず、記録を祝福しに来たところには彼の成長もうかがえる。

 今回の日米通算3500安打、10年連続200安打達成に、おそらくイチロー自身は何も期待をしていなかったはず。波風立たずに通り過ぎてくれれば、と。

 しかし、チームメートがそばにいた。その発見こそが、今回の記録で意味を持ったのかもしれない。

10年連続200本安打おめでとう!!!! やっぱりイチロー選手は日本の誇りやね~ ここまで来るのには色々と障害があったかもしれないがそれを乗り越えてのこの記録。すごいの一言!!!!まだまだ自分らが驚くような記録を打ち立てて欲しい。技術もそうだけど精神力、そして日々の体のケア。大きな怪我がないのがまたすごいね。イチロー選手のストイックな所・・・私も是非見習いたいです。

2010年9月23日木曜日

DIANA

 私が"ALTON ELLIS"の中で一番大好きな曲"DIANA"を紹介します。自分でプレイするのもそうですが、他人がプレイしていてもテンション上がりっぱなしです(笑)今は亡くなってしまって彼のステージを生で見る事ができませんが、レコードを聴くだけでも鳥肌物です。マジで最高の一曲ですよ~是非聴いて下さい!!!! オリジナルはポール・アンカの大名曲なので説明不要かと思います

DIANA - ALTON ELLIS / TREASURE ISLE 1969 (JA Matrix # TIS 224)



You're so young and I'm so old
This, my darling, I've been told
I don't care just what they say
Coz forever I will pray
You and I will be as free
As the birds up in the tree
But please stay by me, Diana
Come stay
Thrills I get when you hold me close
Hold me darling, you're the most
I love you with all my heart
And I hope we'll never part
You and I will be as free
As the birds up in the tree
But please stay by me, Diana
Come stay now
All my love, all my love
Tell me but there's no other
I love you with my heart
O-oh o-oh o-o-o-oo
Only you can break my heart
Only you can tear it apart
When you hold me in your loving arms
I can feel you giving all your charms
Hold me baby, hold me, hold me tight, hold me
Squeeze me baby with all your might
But please stay by me, Diana
Come stay now, baby, Diana
Only you can break my heart
Only you can tear it apart
When you hold me in your loving arms
I can feel you giving all your charms
Hold me baby, hold me, hold me tight, hold me
Squeeze me baby with all your might
But please stay by me, Diana
Come stay now, baby, Dia

2010年9月19日日曜日

LONG DAY SHORT NIGHT

こちらがAre you ThereのFLIP Sideの曲Long Day Short Nightです。この曲のオリジナル(多分)もバート・バカラック&ハル・デイヴィッド作詞作曲,唄Dionne Warwick。

ARE YOU THERE

今日紹介するのはDawn Pennの"Are You There"です(このレコードのFLIP SIDEは後ほど)この曲のオリジナルはバート・バカラック&ハル・デイヴィッド作詞作曲によるDionne Warwickのビックチューン。私は貴方の事を愛しているのに貴方は私より別の女性と・・・みたいな感じの少し悲しい内容になってます。

ARE YOU THERE / DAWN PENN  ( PRINCE BUSTER 1966 )

I hear the music coming out of your radio
Are you there with another girl instead of me
I hear your laughter and there’s something I’ve got to know
Are you there with another girl instead of me

Well, I’m standing on your doorstep 
and I don’t know what to do
Should I ring your doorbell or just walk away
My friends all say that you were never true
Hiding in the shadows

I see two silhouettes in back of your window shade
Are you there with another girl when I am gone
I can’t believe you’d break the promises that you made
If you’re there with another girl, I can’t go on

Oh, I only know I love you and I couldn’t say goodbye
So if there’s another I don’t want to know
If you should go, oh, I would surely die
Love requires faith, I’ve got a lot of faith but

I hear the music comin’ out of your radio

Oh, I only know I love you and I couldn’t say goodbye
So if there’s another I don’t want to know
If you should go, oh, I would surely die
You would never leave me, hurt me or deceive me
I’m a fool to doubt you, worry so about you
Love requires faith, I’ve got a lot in me but

2010年9月13日月曜日

BLUE MONDAY

今日も暑苦しくて気だるい一日でした・・・週末休日明けの月曜日は労働意欲がわきませんね。そんで今日紹介するのはニューオリンズを代表するアーチスト、ファッツ・ドミノBLUE MONDAYです。まさにこんな一日でした。1954年にスマイリ-・ルイスがリリースしています。

BLUE MONDAY / FATS DOMINO ( IMPERIAL1956 )

Blue Monday how I hate Blue Monday

私が憂鬱な月曜日を憎む憂鬱な月曜日

Got to work like a slave all day

一日中奴隷のように働かせられます

Here come Tuesday, oh hard Tuesday

ここでは、火曜日に来てください、ああ激しく火曜日に

I'm so tired got no time to play

私は、時遊ばせられなくて、とても疲れます

Here come Wednesday, I'm beat to my socks

ここでは、水曜日に来てください、私は私のソックスに叩かれます

My gal calls, got to tell her that I'm out

私のギャルは電話します。そして、私が外出していると彼女に話させられます、

'Cause Thursday is a hard workin' day

木曜日が厳しいworkin日であるから、

And Friday I get my pay

そして、金曜日に、私は私の賃金を得ます

Saturday mornin', oh Saturday mornin'

土曜日に朝、ああ土曜日に朝

All my tiredness has gone away

私のすべての疲労は去りました

Got my money and my honey

私のお金と私の蜂蜜を得ました

And I'm out on the stand to play

そして、私は遊ぶために、姿勢に関して外出しています

Sunday mornin' I'm feelin' bad

私が悪いと感じている日曜日朝

But it's worth it for the time that I had

しかし、それは私にはあった時間のために、それの価値があります

But I've got to get my rest

しかし、私は私の休みをしなければなりません

'Cause Monday is a mess

月曜日が混乱であるから、

2010年9月10日金曜日

SUMMER TIME

昨日9月9日はカーネル・サンダースの誕生日でした(笑) まぁどうでもいいんでしょうけど・・・
いや~それにしても残暑が続きますね今日も30℃オーバー。9月っていうのに以前涼しくなる
気配すらありませんね。一体いつになったら秋が来るんでしょうか?

SUMMER TIME / DAVE "BABY" CORTEZ ( ROULETTE )
スタンダード・ナンバーをラテン・チャチャチャ・アレンジでカヴァーしたミディアム・テンポのオルガン・ジャズ。夏のOLDIESイベントで1曲目にプレイしたいレコード。この曲は遊び心があって個人的に好きです。

2010年9月8日水曜日

MEGURIの商品

 先日ついに手に入れました~MEGURIの靴下。以前AYAさんのBLOGを見た時に欲しくて欲しくて・・・マジGETできて嬉しいです。履き心地も最高!!!!5本指の靴下が好きなんですが中々サイズがなくて困ってました.。でもMEGURIの靴下はサイズがフリーなので、足のデカい私もはく事が 出来ます(笑)。くさぎ・びわ・コチニ-ル・インディゴ・ログウッド・せいたかあわだち草・せんだん草の7種類ありますので、このブログをご覧になっている皆さん!!!!絶対チェックした方がいいですよ~値段も1500円とリーズナブルです。また他にもTシャツ・ストール等がありますのでそっちの方も必ずチェックするように!!!!ちなみにFLAT TRACKでも購入できます~

ECOシルク 5本指くつ下 せんだん草 染め

2010年9月3日金曜日

REST IN PEACE

 8月31日スタジオ・ワン(STUDIO ONE)の創設者コクソン・ドッド氏(COXSONE DODD)の妻
ノーマ・ドッド(NORMA DODD)が西インド諸島大学病院で死去した。彼女の年齢は60歳代後半だった。ノーマ・ドッドは「ジャマイカのモータウン」と賞賛されるジャマイカ音楽産業誕生の大きな基礎を築いた音楽レーベル、スタジオワン(STUDIO ONE)創設者コクソン・ドッド氏(COXSONE DODD)の妻としてレーベルの運営に大きく携わってきたことで知られた。2004年5月5日にコクソン・ドッドが心臓発作で死去してからはスタジオ・ワンの運営全般を担ってきた。またスタジオ・ワンから発表されたアルバムの作品ライナーノートを手掛けていたノーマ・ドッドだが、60年代にスカの音楽を発表したスタジオ・ワンのレーベルND RECORDSはノーマ・ドッドの頭文字をとったレーベル名であることも知られている。

         
ノーマ・ドッドの頭文字をとってND RECORDSと名付けられています

SPIT IN THE SKY / DELROY WILSON
タイトル SPIT IN THE SKY
アーティスト DELROY WILSON
レーベル ND RECORDS (STUDIO ONE)
 
 この曲のタイトル「Spit in the sky」は、直訳の通り「天(空)にツバ吐く」という意味で、この歌詞は「スクラッチ」ことリー・ペリーが書いています。この曲で「天(空)にツバ吐く愚か者」と口撃されているのは「番長」プリンス・バスターの事で、当時のサウンド(レーベル)の敵対関係の激しさが分かると思います(今のサウンドクラッシュネタの元祖です)。
 
 今までお疲れ様でした。あなた達が残した素晴らしい音楽は永久に不滅です。これからも精一杯STUDIO ONEをプレイさせて頂きます。R.I.P.Norma Dodd。

2010年9月1日水曜日

EASY SNAPPING

EASY SNAPPING / THEOPHILUS BECKFORD ( WORLDISC )
 Vintageセレクターのくせにsoulばかり紹介しやがってっていうクレームが私の友人からきましたので今日は・・・今日こそは(笑)Jamaica Skaを紹介します。この曲はコクソン・ドッドプロデュースの物でジャマイカンミュージックの歴史に残る大名曲です!!そしてこの曲が最初の「スカレコード」 言われてます。個人的にお気に入りのレコードです。詳細ですが(ミュージシャンBluse Blasters,ベースCluett Johnson,トロンボーンRico Rodrigues,サックスRoland Alphonso,ギターErnest Ranglin,ピア   ノ,オルガンAudrey Adams,Theophilus Beckford,レーベル(WORLDISC JA盤)JA Matrix #(KD-45- 110)Producer / Coxson Dodd 。

2010年8月31日火曜日

ROOTS REGGAE PARTY



WaKa氏のプレイもアップしたかったのですがデータが消えていました。WaKa氏ゴメン・・・
8月28日(土曜日)に@CAFE BAOBABでRoots Reggae Partyがありました。WaKa氏が出演
するとい事で自分も行くことに・・・約1ヶ月ぶりでしたがVIBES全開で楽しむ事が出来ました。
それと今は早い時間帯って事もあり子供連れのお客さんが多数いらっしゃいました。
その模様を紹介します~


   TENSO 5 STARSのメインセレクターWaka氏(珠玉の70's~80's中心にプレイしてました)


                                               WAKA氏とその息子凜太郎氏
 

美味そうに飲んでます(皿廻しながらの酒は最高でしょうね)





みなさん楽しんでおられます


 ミツナガオートインテリア&デザイン代表の光永氏


 光永氏と子供さん(名前聞き忘れてました。申し訳ないです・・・笑)

光永氏の奥さん(AYAさん)とBAOBABのオーナーKEITA氏、WAKA氏、光永夫妻
EIKI氏、KEITA氏,その他の関係者の皆様こんな楽しい時間をありがとう!!!!
今度も楽しみにしてます。是非またリンクしましょう  ・・・ Nuff Respect!!!!
今回のイベントでお世話になりましたBAOBABのインフォメーションです。
是非チェックして下さい!!!

2010年8月27日金曜日

DEELE - TWO OCCASIONS

今日紹介するのはBABY FACEがまだいたころのファンクバンド(DEELE)のヒット曲TWO OCCASIONSです。この曲はレゲエでもカバーされたビックチューンです。友人の結婚式でこの曲をかけましたがあまり反応がありませんでした・・・笑。これは是非愛するパートナーと一緒に聴いて欲しい曲です(ドライブデートの際はマストアイテム)。余談ですが初めて聴いた時BABY FACEの声に鳥肌が立ちました・・・

A summer love is beautiful

夏の愛は美しいです

But it's not enough

しかし、それで十分でありません

To satisfy emotions

感情を満たします

That are shared between us

我々でとても分配されます

A winter love is cozy

冬の愛は居心地がよいです

But I need so much more

しかし、私はより多くの多くのことを必要とします

It just intensifies my wants

それは、ちょうど私の必要とする物を強めます

To have a love that endures

持ちこたえる愛を持ちます



'Cause every time I close my eyes

私が私の目を閉じるから、

I think of you

私は、あなたのことを考えます

And no matter what the season is

そして、季節がたとえ何であろうとも、

I still love you

私は、まだあなたを愛しています

With all my heart

私のすべての心臓で

And I wanna be with you

そして、私はあなたといたいです

Wherever you are

どこにあなたがいようとも、



I only think of you on two occasions

私は、2つの出来事にあなたのことを考えるだけです

That's day and night

それは、日と夜です

I'd go for broke if I could be with you

私があなたといることができるならば、私は一か八かやってみるでしょう

Only you can make it right

あなただけは、それを正しくすることができます



An autumn love is special

秋の愛は特別です

At this time of the year

この季節に

But when the leaves are gone

しかし、葉がなくなるとき、

Does that love disappear

その愛は消えます

I never underestimate the new love of spring

私は、春に対する新しい愛情を決して過小評価しません

But I'm glad to say in my heart

しかし、私は私の心臓で言ってうれしいです

I know my love's lasting

私は、きみの耐久性を知っています



'Cause every time I close my eyes

私が私の目を閉じるから、

I think of you

私は、あなたのことを考えます

And no matter what the season is

そして、季節がたとえ何であろうとも、

I still love you

私は、まだあなたを愛しています

With all my heart

私のすべての心臓で

And I wanna be with you

そして、私はあなたといたいです

Wherever you are

どこにあなたがいようとも、


HOOK 2 times

2回HOOK



'Cause every time I close my eyes

私が私の目を閉じるから、

I think of you

私は、あなたのことを考えます

And no matter what the season is

そして、季節がたとえ何であろうとも、

I still love you

私は、まだあなたを愛しています

With all my heart

私のすべての心臓で

And I wanna be with you

そして、私はあなたといたいです

Wherever you are

どこにあなたがいようとも、

TWO OCCASIONS / ZULU MINOTT ( MIXING LAB )

こちらがレゲエカバーです↑↑↑↑

2010年8月25日水曜日

ATLANTIC STAR - SECRET LOVERS 12


自分の好きなアーチストATLANTIC STARの中で一番好きな曲を紹介します。ATLANTIC STAR
といえばALWAYSが一番有名ですが今回紹介するのはAtlantic Star - Secret Lovers 12inch Versionです。自分は7inchしか持っていませんが12inch Versionの方が好きなので・・・





SECRET LOVERS : By: Atlantic Starr


Here we are, the two of us together

さあどうぞ、一緒に我々の二つ、

Takin’ this crazy chance to be all alone

一人きりのこの狂った機会をとること

We both know that we should not be together

我々両方は、我々が一緒にいてはならないということを知っています

‘Cause if we’re found out, it could mess up

我々が捜し出されるから、それはだいなしにすることができます

Both our happy homes

両方の我々の楽しい家

I hate to think about us all meeting up together

私は、一緒に会って我々みんなのことを考えたくありません

‘Cause as soon as I look at you it will show on my face, yeah

私があなたを見るとすぐに、それは私の顔に示します、はい

Then they’ll know that we’ve been loving each other

それから、彼らは我々が互いが好きになっていたということを知っています

We can’t let ‘em know, no, no, no

我々は、彼らに知らせることができません、いいえ、いいえ、いいえ、

We can’t leave a trace

我々は、痕跡を去ることができません

Secret lovers, yeah, that’s what we are

我々がそうであることである秘密の、はい、恋人たち

We should not be together
我々が、一緒にいてはいけません

But we can’t let go, no, no

しかし、我々は放すことができません、いいえ、いいえ、

‘Cause we love each other so

我々がとても互いが好きであるから、

Ooh…ooh…

ああ…ああ…

Sittin’ at home, I do nothin’ all day

自宅に座って、私は一日中、何もしません

But I think about you and hope that you’re okay

しかし、私はあなたのことを考えて、あなたがOKのことを望みます

Hopin’ you’ll call before anyone gets home

誰でも家に帰る前に、あなたが電話することを望むこと

I wait anxiously alone by the phone

私は、電話で単独で心配して待ちます

How could something so wrong be so right

どのように、それほど間違った何か、それほど正しくありえましたか

I wish we didn’t have to keep our love out of sight, yeah

私は、我々が我々の愛を見えなくしておく必要がなかったことを願います、はい、

Living two lives just ain’t easy at all

2つの人生を送ることは、ちょうどまったく簡単でありません

But we gotta hang on in there or fall

しかし、我々はそこで持ちこたえなければならないか、倒れなければなりません

Secret lovers, yeah, that’s what we are

我々がそうであることである秘密の、はい、恋人たち

We should not be together

我々が、一緒にいてはいけません

But we can’t let go, no, no

しかし、我々は放すことができません、いいえ、いいえ、

‘Cause we love each other so
我々がとても互いが好きであるから、

Secret lovers, yeah, that’s what we are

我々がそうであることである秘密の、はい、恋人たち

Tryin’ so hard to hide the way we feel

とても一生懸命に我々が感じる方法を隠そうとすること

‘Cause we both belong to someone else

我々両方が他の誰かが所有しているから、

But we can’t let go

しかし、我々は放すことができません

‘Cause what we feel is, oh, so real

本当であるように、我々が感じるものがあるから、ああ、

So real, so real

とても本当の、とても本当の

You and me, are we friends

あなた、そして、私は、我々は友人である

Is this cool or do we care

これは涼しいですか、あるいは、我々は気にかけますか

Can they tell what’s in our minds

彼らは、何が我々の心の中にあるかについて見分けることができます

Maybe they’ve had secret loves all of the time

多分、彼らは常に、秘密の好きなものを持ったでしょう

In the middle of making love we notice the time

愛しあうことの中央で、我々は時間に気がつきます

We both get nervous ‘cause it’s way after nine

それが9の後の方法であるから、我々両方は神経質になります

Even though we hate it, we know it’s time that we go

たとえ我々がそれを憎むとしても、我々は我々が行く時であるということを知っています

We gotta be careful so that no one will know

誰も知らないように、我々は慎重でなければなりません

Secret lovers, yeah, that’s what we are

我々がそうであることである秘密の、はい、恋人たち

Trying so hard to hide the way we feel

とても一生懸命に我々が感じる方法を隠そうとすること

‘Cause we both belong to someone else

我々両方が他の誰かが所有しているから、

But we can’t let go

しかし、我々は放すことができません

‘Cause what we feel is, oh, so real

本当であるように、我々が感じるものがあるから、ああ、

So real, so real, so real, so real

とても本当の、とても本当の、とても本当の、とても本当の

2010年8月24日火曜日

LUTHER INGRAM - IF LOVIN YOU IS WRONG


70年代のサザン・ソウル・シンガー、ルーサー・イングラムの不倫ソングです。
不倫を愛してやまない皆さんチェック!!!

2010年8月21日土曜日

甲子園春夏連覇

   第92回全国高校野球選手権大会決勝が21日に行われ、興南高が東海大相模高を13対1で破り、史上6校目の春夏連覇を達成した。春夏連覇は松坂大輔(現レッドソックス)を擁した横浜高(神奈川)以来。興南高、沖縄県勢にとって夏の甲子園初優勝となった。
   興南高打線が東海大相模高のプロ注目右腕・一二三慎太を攻略した。4回1死二、三塁から伊礼伸也のタイムリーで先制すると、大城滉二からの5連打などで一挙7点を奪った。6回には我如古盛次の3ランなどで5点を追加した。
   投げては先発の島袋洋奨が変化球主体のピッチングで強打の東海大相模打線を抑え込んだ。ここまで5試合に登板して、42回で49三振を奪ってきたが、この日は4奪三振。低めに変化球を集め、打たせて取る投球術が光った。
   40年ぶりの優勝を狙った東海大相模高はエース・一二三が打ち込まれた。興南高の鋭いスイングの前に、7回を投げて16安打を浴びて13点を失った。打線はここまで4試合で34得点を奪ってきたが、島袋から9安打を放つものの1得点に終わった。

 いや~沖縄代表興南高校素晴らしかった!!!!私の中で近年の高校野球界の中で多分彼等がナンバーワンだと思います。それくらい投打にバランスがとれていて総合力もずば抜けていた。。。。
 それにしても島袋投手よく一人で投げ抜いた。あっぱれ!!!!野手も全員レベルが高かったので大学、社会人、プロの世界でも通用すると思います。
 また相手の東海大相模高校も負けはしましたがよくここまで勝ち上がってきました。胸を張って神奈川に帰って欲しい。。。そして、たった2カ月前にサイドに変えてここまで導いたエースの一二三投手。この悔しさは是非プロ野球(多分プロ志望だと思いますが・・・)に入ってから晴らして下さい。応援してます!!!!最後になりましたが沖縄代表興南高校、神奈川代表東海大相模高校の両チームのみなさんお疲れ様でした。沢山の感動をありがとう!!!!そして沖縄代表興南高校春夏連覇おめでとう!!!!

2010年8月19日木曜日

ベスト4ならず・・・

東海大相模が九州学院を10対3と下し、40年ぶりの準決勝に進出した。初回に大城卓のタイムリーで先制すると、小刻みに加点。3点差に詰め寄られた9回には田中のタイムリー三塁打などで4点を加えて、突き放した。一二三は140キロ台のストレートとスライダーで3試合29得点の強打・九州学院を3点に抑えた。九州学院は好投手・一二三から8回に3点を挙げて追い上げたが、粘り及ばなかった。甲子園で3試合を完投している渡辺が打球を受けるアクシデントで6回降板したのが終盤に響いた。
6回のエース渡辺投手のアクシデントが響いた結果になりましたがよくここまで一人で投げ抜いたと思います。個人的にあっぱれを送りたいです。彼なしではベスト8まで入れなかったと思います。もちろんその他の選手達もよく頑張りましたが・・・・できることならベスト4に進出して欲しかった。東海大相模高校のエース一二三投手が素晴らしかったからしょうがないね。。。
投打にバランスのとれた素晴らしいチームでした。こうなったら九州で唯一勝ち残っている沖縄代表興南高校を応援しましょう!!!そして我が熊本代表九州学院高校野球部お疲れ様でした。沢山の感動をありがとう!!!!