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2012年1月11日水曜日

GREETINGS FROM BEVERLEY'S


GREETINGS FROM BEVERLEY'S - FRANC COSMO ( BEVERLEY'S JA )
Happy new year 2012!
Let me expreess the greetings of the season.
I am very grateful to you for the kindness you showed us last year.
and now i look forward to your continued good will in the coming year.

Here's little something for you. this is happy new year ska. i hope you like this.
but i don't know details about franc cosmo.
postscript
Mr Sakai thank you so much for your New Year's Card.

2011年12月23日金曜日

JUNGLE BELLS

JINGLE BELLS - STUDIO 3 ( VENUS JA 1965 )
Greetings everyone. how was things? I'm so far so good.
I'll fix you up with my vinyl's of one. check this lady's and gentleman.

Today's my recommendation is this one.
This is christmas instrumental. probably you would like it so please enjoy!
Postscript. Chirstmas and New year are coming up.

2011年9月5日月曜日

GREEN ONIONS



GREEN ONIONS - BYRON LEE & THE DRAGONAIRES ( STARLINE JA )

世界陸上やっぱりボルトが魅せてくれましたね。まさに圧巻の一言につきます。
昨日は先週に引き続き野球の試合と自分がよく行くフラット・トラックでOKI(DUB AINU)
のLIVEがありました。朝から野球、夜はLIVEと少々ハードな一日でしたがいい休日を過ごす事
ができました。

さて本日はソウル・インストの代表的なグループであるブッカー・T&ザ・MG’sのファーストアルバ
ムに収録されている”GREEN ONIONS"です。このアーチストの定番中の定番ですから知っている
方も多いかと思います。メンバーはオルガン奏者ブッカー・T・ジョーンズ、ドラムスのアル・ジャクソ
ン、ギターのスティーヴ・クロッパー、ベースのルイス・スタインバーグの黒人と白人が2人ずつとい
う4人の混合バンドで、特に注目して欲しいのがオルガン奏者のブッカー・T・ジョーンズのオルガン
でYOUTUBEの映像から見ていただければ分かると思いますがご覧の通り彼の演奏は神がかって
ます。そして下の曲は1964年スターラインからリリースされたジャマイカンカバー”GREEN ONIONS"
です。アーチストは50年代から活躍していた説明不要のジャマイカン・ビッグバンドBYRON LEE
率いるTHE DRAGONAIRESが演奏しています。数多のくジャマイカン・カバーが存在していますが
この曲のカバーに関してはオリジナルを忠実に再現している感じがします。

2011年8月7日日曜日

JOYBELLS FOR INDEPENDENCE

JOYBELLS FOR INDEPENDENCE - RYTHM ACES ( WORLDISC JA )
昨日8月6日は292年間の英国支配を脱しカリブ海英領植民地の中で最初に独立を達成した
ジャマイカの独立記念日っていうことで自分の好きなIndependenceTuneを選んでみました。

 1962年Sir Dプロデュースのインディペンデンス・ソングでこの曲の他にも独立を歌った曲や
インストもありますがこの曲は自分のお気に入りです。またフィリップサイドの"ALL MY LOVE"
も素晴らしいバラ-ドでおススメです機会があればアップしたいと思います。

 この頃のスカってジャマイカ独立期の盛り上がり(浮かれた感じ)が曲に反映されていて何か
聴いているだけで陽気な気分にさせてくれる曲が多いです。キラースカももちろん良いですが
初期のスカ(Shuffle Style)も多くの人に聴いてもらいたいし好きになって欲しい(もちろん好み
はありますけどね)。



そして・・・8月6日は日本人が決して忘れてはいけない広島に原爆が投下された日。

今日の昼に原爆投下について某TV局で討論していました。

個人的になるほどなと思う意見やこれって違うなって思う意見などいろいろあって勉強になりま
した。日本から見た外国、外国から見た日本 まあ価値観が違って当たり前でしょうけどこれが
争いに発展することが醜い。現に今でも世界のどこかで争いがあって毎日罪のない市民が犠牲
になり続けていること・・・それに比べたら今の日本って平和な国だなってつくづく思う。

まあ個人的にいろいろ言いたい事がいっぱいあるが・・・

Main Ingredient - You & Me Me & You

この曲のような世の中になればええと思います。。。

2011年7月21日木曜日

ジャマイカ村2011


  17日に行われたスカフェスのイベントに行ってきましたのでその模様をお伝えしておきます。


場所は大分県の宇佐市院内町にある「平成の森公園 農村公園」っていう所で行われました。
その道中のCountry Roadを通った際にどこか郷愁漂う感じの風景に魅せられてしまい思わず
撮った一枚です。私が学生時代を過ごした町の近く(といっても車で2,30分かかりますが)だ
ったのでとても懐かしい気持ちになりました。その後友人との再会・・・


     ついたら地元のサウンドの方がプレイ中 オールディーズからNEWまで幅広い選曲


   っていうかこのJAMAICANなんやねん 某セレクターに似てない??似てないかとY氏・・・




田川のレゲエバンドRAM JAM VENDORSさん





地元大分のオーセンティックスカバンドSKA-PHONICSさん







レペゼン福岡SKA☆ROCKETSさん


ラムコーク飲んでて何かつまみが欲しい・・・と何気に飲食出店ブースにお邪魔して見つけたジャー
ク屋で知り合った神崎さんです。彼女は地元の方で毎年ジャマイカ村のイベントで(確か)出店して
いらっしゃるそうです。

神崎ラジオ???どっかで聞いたことある名前やなと思っておりました所彼女曰く大分市の府内町で飲
食店を経営されていたそうです。どおりで聞いたことある名前だったんだと納得しました。自分はお
店には行く機会がなかったんですが自分の友人が行ったことあるようなことを話してました。

ここのジャークチキンが大変美味しかったのでまたお邪魔させて頂きます。またリンクできればと。

ANYWAY他にもいろんな出店ブースがあり見ているだけで美味しそうなモノばかりでした また機
会があればジャマイカ村にお邪魔したいです 次回はもっと多数で行こうかなと思うイベントでした。

アットホームでリーズナブル子供から大人までこんなに楽しめるフェスってなかなかないと思う。是
非機会があれば足を運んで欲しいと思います。バーベキューも楽しめるんでファミリーでもフレンド
でもカップルでも気軽に遊べる最高のイベントですよ~

写真を載せれなかったTHE LITTLE ELEPHANT、DUB ROCKERS、ARTS、RHINOCEROSMILES
EXPLOSIONSの方々申し訳ないです。撮影担当がS氏だったのでどうしても地元大分中心の撮影
となりバイアスじみてしまいました(それはそれで当たり前のような気もしますが)

※最後に動画のっけておきますね 

2011年6月3日金曜日

2011年5月22日日曜日

JAMES BOND

JAMES BOND - ROLAND ALPHONSO & THE SOUL BROTHERS ( C & N JA )

 前回に引き続きキラースカを紹介します。”JAMES BOND”(1965)
タイトルを見て頂ければ分かるように映画「007」のテーマ曲のカヴァーで、ご存知
の方も多いと思います。オリジナルに引けをとらない最高のキラーインストです。
 
 18日に紹介したレーベルPort-O-Jamと同様にこちらもコクソンが所有していた素晴らし
いレーベルC&Nからのリリースです。Flip Sideは”Lee Perry / Just Keep It Up"となっており
ます。オーセンティック・スカらしいタイトな仕上がりでこちらもおススメです。
 
次回もキラースカを更新予定です。しばらく連続で紹介していこうかな・・・

2011年5月18日水曜日

CLEOPATRA

CLEOPATRA - DON DRUMMOND ( PORT-O-JAM JA )

スカタライツ創設時のオリジナルメンバーでスカのビートを創りあげたトップドラマーの
ロイド・ニブ氏が12日故郷ジャマイカ(キングストン)の自宅で亡くなった。享年80歳。

ここ何年かスカのオリジネーターが亡くなっていく中で現在オリジナルメンバーはロイド・ブ
レベットとレスター・スターリングの2人だけ。若い人には特にこの辺の年代の音楽も知って
欲しいなって思う。レコードで聴くのもよし、CDで聴くのもよし、是非ジャマイカンミュージック
のルーツとやらに触れて堪能して欲しいものだ・・・

自分も今まで以上に愛情込めてスカレコードをプレーして行きたいと思う。
しかしリアルタイムで見たかったな。

少し遅くなりましたが彼のドラムを思う存分堪能して下さい。キラー!!!

2011年5月14日土曜日

JUDGE NOT !

JUDGE NOT ! - ROBERT MARLEY ( BEVERLEY'S JA )

DO YOU STILL LOVE ME ? / ROBERT MARLEY ( BEVERLEY'S JA )
11日は東北地方太平洋沖地震から丸2ヶ月・・・
未だに余震や原発問題なんかで被災者の方々は気の抜けない日々を過ごされているとことと思います。自分も僅かながら毎月義援金を送り続けていきたいです(後身近でできる節電なんかも)

2011年3月4日金曜日

LAVENDER BLUE


LAVENDER BLUE - Sir CAVALIERS COMBO ( HI TONE JA )

LAVENDER BLUE - BABA BROOKS ( GAY FEET JA )

結婚式やらなんやらで気づけばもう3月。だんだん暖かくなり過ごしやすい季節になってきました。自分の住んでいる地方は昼は半袖でもいいくらいです(笑) ブログもいつものごとくほったらかしで・・・

今日紹介するレコードは、最近レコード整理をしていて見つけたレコードなんですが、これが久々に聴いてみるとめっちゃ渋くて、ほのぼのとした感じがこの季節にピッタリだなと思いましたのでアップしてみました。この曲に関しましては詳細が全く分かりません。ですので詳細をご存知の方は是非教えて下さい。

そんでもって二枚目のレコードはゲイ・フィートからリリースされているインストュルメンタルです。クレジットミス??(GAYTONES / TOGETHERと明記されていますが正しくはBABA BROOKS/LAVENDER BLUE )オーセンティック・スカみたいにタイトな感じではありませんがババ・ブルックスによるロングトーンの力強い演奏が魅力的な作品です。 対照的ですが是非聴き比べてみて下さい。

2011年2月17日木曜日

PEACE & LOVE

今日紹介するのはマイフェイバリットスカの中でも5本の指に入る曲です。この曲はスカを選曲する際、必ずプレイする程大変お気に入りの曲なんですが・・・最近不条理な事が多くイマイチ(コンディションで例えるとVG-くらい)気分が乗らないので詳細は控えておきたいと思います。

2010年11月29日月曜日

PASSING THROUGH

PASSING THROUGH / ROLAND ALPHONSO ( ROLANDO & POWIE )
今日紹介するのは個人的に大変重宝しているレコードです。まさにオーセンティックキラースカ最高峰!!!! このオリジナル盤を探すのに大変苦労しました。多分殆ど市場に出てこないと思います(まだオークションなどで見た事ありません)。それとJA MATRIXは同じですが1973年に"IRON SIDE"レーベルから"COCONUT ROCK"というタイトルで2NDがリリースされてます。

2010年11月22日月曜日

EASTER BUN

EASTER BUN / ROLAND ALPHONSO & THE CITY SLICKERS ( ALL STARS )
 コクソンプロデュースによる初期(1961年)の作品。ザ・シティ・スリッカーズバンドとのセッションっていうのもいいですね。この時期のインストはJAZZYな感じの作品が多いです。まあコクソンがJAZZ好きっていうのもあるんでしょうけど・・・自分はJAZZが好きなのでこの辺はやられます(笑)それにローランド・アルフォンソのテナーはいつ聴いても最高ですね。

2010年11月15日月曜日

INVISIBLE SKA

INVISIBLE SKA / THE CHECKMATES ( COXSONE BLANK )
 ブログさぼり気味ですいません。最近は何かとする事が多くて・・・久しぶりの更新になりますがどうかお許し下さい・・・気づけばあっという間に11月に突入し、いよいよ寒むさが本格的になってきた所ですが(冬に突入するんで当たり前なんでしょうけど)もう肌寒いっていうレベルじゃないです。自分は寒いのが苦手なので早く暖かくなるのを祈ってます(笑)
 
 今日紹介するレコードは哀愁ただようトランペットが優しく心に残るコクソンプロデュースのスカインストです。何かのカバーだとは思いますが・・・詳細は分かりません(知っている方は教えて下さい)聴いて頂ければ分かると思いますが音程が少し危なっかしいです(笑)JAオリジナルの方がUK盤と違ってメリハリのきいた音がでてます。

2010年11月3日水曜日

R.I.P. Sonia Pottinger


1965年、Lyndon O. Pottingerの妻ソニア・ポッティンジャー(Sonia Pottinger)は彼女のレーベルであるゲイ・フィート(Gay Feet)とハイ・ノート(High Note)のためにレコードのプロデュースを開始、ゲイ・フィート初リリースとなったのがジョー・ホワイト(Joe White)&チャック・ジョセフ(Chuck Joseph)の'Every Night'で、ババ・ブルックス(Baba Brooks)と彼のレコーディング・バンドから構成された'1st セッション(ファースト・セッション)'によるバッキングだった。この楽曲は大ヒットを記録しジャマイカのチャートを数ヶ月独占したほどだった。ソニアはこれまでに制作されたロックステディ楽曲の中でも最もエレガントな至上の楽曲をザ・フュージティブス(Fugitives)やリン・テイト&ザ・ジェッツ(Lynn Taitt & The Jets)のバッキングよってプロデュースしたのだった。コンカラーズ(Conquerors)の'Won't You Come Home'、エチオピアアンズ(Ethiopians)の'The Whip'、ゲイラッズ(Gaylad)の'ABC Rock Steady'や'It's Hard To Confess'、メロディアンズ(Melodians)の'A Little Nut Tree'や'Swing And Dine'、さらにはジョニー&ザ・アトラクションズ(Johnny & The Attractions)による卓越した'Let's Get Together'や'Cross My Heart'などがその一例に挙げられる。

ロックステディがレゲエにゆっくりと変わりゆくなか、ティップ・トップの勢いは止むことがなかった。メロディアンズ(Melodians)のメンバーだったブレント・ドーウィー(Brent Dowe)による'Bulid Me Up'、スコッティー(Scotty)による'Unbelievable Sounds'、デラーノ・スチュワート(Delano Stewart)による'Dance With Me'、'Don't Believe Him'、'That's Life'さらにはハイ・ノートで手本とのなるレゲエのリズム大半を演奏したヒッピー・ボーイズ(Hippy Boys)の'Doctor No Go'や'Reggae Pressure'などが発表された。そんな中、バニー'ストライカー'リー(Bunny 'Striker' Lee)といった他のプロデューサーたちは彼らの録音をティップ・トップ・レコード・センターにプレス/流通してもらうために手渡すようになり、バニー'ストライカー'リーを代表する作品であるスリム・スミス(Slim Smith)の'Everybody Needs Love'と'The Time Has Come'もハイ・ノートからリリースされた。

70年代中期に起きたルーツ革命は認められていたレコード・プロデューサーの多くを置き去りにし、彼らは時代遅れでキングストンのストリートで何が起きているかも分かっていないと見られるようになった。しかし、ソニア・ポッティンジャーはためらうことなくおびただしい数にわたる極上のシングルや傑作アルバムを掲げ前線で活躍し続けた。ボブ・アンディ(Bob Andy)の'Slow Down'や欠点のない'Ghetto Stays The Mind'を収録したアルバム'Lots Of Love & I'、カルチャー(Culture)による'Natty Never Get Weary'や'Stop The Fighting'、強烈なアルバム'Harder Than The Rest'、マーシャ・グリフィス(Marcia Griffiths)の'Stepping Out Of Babylon'に'Peaceful Woman'さらには威厳漂うアルバム'Steppin'などがその一例に挙げられるが、その他にもボビー・エリス(Bobby Ellis)をフィーチャーした'Stormy Weather'、'Shank I Sheck'がリリースされ、これらハイ・ノートを象徴する2つのインスト楽曲は70年代の幕締めとともにダンスホールのアンセムになった。

1974年、デューク・リードが癌で早すぎる死を迎えると、ソニア・ポッティンジャーはトレジャー・アイル(Treasure Isle)を引き継いだ。最初の狙いはトレジャー・アイルのスタジオを再建築することだったがその代わりに彼女はデューク・リードの音楽の多くを再発し始めたのだった。ジャスティン・ハインズ&ザ・ドミノズ(Justin Hinds & The Dominoes)による'From Jamaica With Reggae'、'Hottest Hits Volumes One'、'Hottest Hits Volumes Two'といったコンピレーション・アルバム、ロックステディの傑作ヴォーカルを程よくディージェイとミックスし、ダブのテクニックを駆使した12インチ盤ディスコ・ミックスのセレクションが見られるようになった。そのセレクションにはアルトン・エリス(Alton Ellis)の'If I Could Rule The World'や'I Can't Stand it'、センセーションズ(Sensations)のきらびやかな'Baby Love'などが挙げられる。もちろん、アルトン・エリスとUロイ(U Roy)による'Ain't That Loving You'、シルバートーンズ(Slivertones)による'True Confession'といった7インチのシングル一連はトレジャー・アイル、ボンド・ストリートの音を現存させ続けた。

80年代中期、音楽業界から身を引いたソニア・ポッティンジャーは2004年10月、ジャマイカ音楽、芸術、文化への貢献が讃えられジャマイカ政府よりOD(Order of Distinction)が授与されている。

EVERY NIGHT / JOE WHITE & CHUCK ( GAY FEET )
ジャマイカで最初の女性音楽プロデューサー、ミス・ソニア・ポッティンジャーが2010年11月3日
にお亡くなりになられました。享年79歳 また一人ジャマイカのスターが亡くなってしまって悲しいです。GAY FEETからリリースされているレコードをこれからも重宝していきたいと思います。今日は是非彼女自身一番のお気に入りの曲でGAY FEETで一番の大ヒット曲"EVERY NIGHT "でも聴いて下さい・・・ とても切ないジャマイカン・バラードにきっと心打たれるはずです・・・

2010年10月10日日曜日

TRIBUTE TO ALTON ELLIS

MURIEL - ALTON & EDDY  ( WORLDISC )
今日は'Mr. Soul Of Jamaica’と称されるその艶やかなソウル・スタイルのヴォーカルで、スカ、ロックステディからアーリー・レゲエ期に多数の名作を残したジャマイカを代表する正統派シンガーアルトン・エリスが亡くなって二年になりますね・・・全国各地でアルトンを追悼するイベント等が行われている事でしょう。二年たった今でもレゲエファン、セレクター、サウンドマンなどレゲエを愛してやまない人々に最も愛されているアーチストではないでしょうか?私もその一人です。そこで今日はアルトン自身が一番大好きだと言っていた曲を紹介します。この曲はとても有名で説明不要かと思いますが一応・・・・トレンチタウンの友人ジョージが作曲し1957年に録音され、1959年に発表されたラブソング「ミュリエル ("Muriel")」が彼らのデビュー作となり、ジャマイカとイギリスでヒットした。なお「ミュリエル」はプロデューサーのコクソン・ドッドにとっての最初のヒット曲でもあり、録音時のミュージシャンであるジョニー・ムーア、ロイド・ニブ、ロイド・ブリヴェット、ローランド・アルフォンソらは、後に結成されるスカタライツの主要メンバーとなった。また、エリスは後年コンサートでこの曲を歌うときには「この曲が一番好きなんだ」というMCをしばしば入れていた。
アルトン&エディは「ミュリエル」の他に「マイ・ヘヴン ("My Heaven")」、「ララバイ・エンジェル ("Lullabye Angel")」、「アイ・ノウ・イット・オール ("I Know It All")」、「アイム・ネヴァー・ゴナ・クライ ("I'm Never Gonna Cry")」、「ユアーズ ("Yours")」の少なくとも5曲をドッドの元で、「マイ・ラヴ・ディヴァイン ("My Love Divine")」など数曲をランディーズで録音した。

 I KNOW IT ALL - ALTON & EDDY ( WORLDISC ) 

I AM NEVER GONNA CRY - ALTON & EDDY ( WORLDISC )
しかし、国際的ヒット曲となった「ミュリエル」に対して支払われたギャランティーがわずか15ポンドであったなど、ドッドから十分な報酬が受け取れなかったことに失望したエリスは、一時的に音楽の世界から離れ、キングストンの印刷会社スティーブンズ・プリンター社で2年間印刷工の仕事に就いた。エリスが音楽から離れている間、パーキンスはジャマイカのタレントショー『スター・イズ・ボーン ("A Star Is Born")』に優勝し、アメリカ合衆国の人気テレビ番組『エド・サリヴァン・ショー』に出演する機会を得てアメリカに長期滞在したため、アルトン&エディのデュオは自然消滅となってしまった。
エリスはデュオ解散後も印刷会社で働いていたが、歌手になるという夢を諦めきれず、ある日オーディションを受けるため会社を無断欠勤してしまう。エリスはこれを理由に印刷会社を解雇されてしまったが、それを期に音楽活動にさらに没頭するようになる。1964年ごろエリスはジョン・ホルトとのデュオを結成し、ランディーズへ「ラム・バンパー ("Rum Bumper")」など数曲を残した。しかしホルトはパラゴンズ (The Paragons) の新メンバーとして引き抜かれてしまったため、エリスとホルトとのコンビは短命に終わった。そのためエリスは弟のレスリーと、友人のノエル・"スカリー"・シムズ、ベイビーG、ロニーと共に新しいグループ、アルトン・エリス&ザ・フレイムス (Alton Ellis & The Flames) を結成、同時にスタジオ・ワンからデューク・リードのトレジャー・アイルへとレーベルを移籍し、「ドント・トラブル・ピープル ("Don't Trouble People")」、「ダンス・クラッシャー ("Dance Crasher")」、「クライ・タフ ("Cry Tough")」といった楽曲を発表し、ヒットさせた。この時期のジャマイカの音楽業界では性急なテンポを特徴とする新たなジャンル・スカが誕生し、ウェイラーズやプリンス・バスター、デリック・モーガンによる攻撃的なルードボーイ賛歌が人気を博していたが、アルトン・エリス&フレイムスによる上記楽曲群は彼らとは対照的に平和とアンチ・ルードボーイを訴えたものだった。
なお、レーベル移籍によって心機一転を計ったエリスであったが、金銭的には不遇なままであった。

 

ロックステディの創始者として



エリスが1965年12月にトレジャー・アイルに録音した「ガール・アイヴ・ガット・ア・デート ("Girl I've Got a Date")」はテンポこそスカと同様のアップテンポだが、スカの特徴であるウォーキングベース(ベースが均等に4分音符を弾く奏法)ではなくシンコペーション感覚のあるベースラインがあり、その特有のフィーリングをもって最初のロックステディ楽曲の一つと広く認識されている。同楽曲が1966年にジャマイカのラジオチャート一位を獲得して以降、ジャマイカでは約2年間スカよりも遥かに遅いテンポと甘い雰囲気を持つ音楽ロックステディが流行したが、この2年間はエリスの黄金期と一致する。なお、このジャンル名自体も1966年にエリスが発表した「ロックステディ ("Rocksteady")」という楽曲に由来している。
この時期、エリスは自ら「(ロックステディの)最終到着地点」と評した「ブレイキング・アップ (イズ・ハード・トゥ・ドゥ)("Breaking Up (Is Hard To Do) ")」をはじめとする多くのオリジナル曲を発表したほか、タイロン・デイヴィス (Tyrone Davis)「キャン・アイ・チェンジ・マイ・マインド (Can I Change My Mind)」、ジーン・チャンドラー (Gene Chandler)「デューク・オブ・アール (Duke of Earl)」、ルー・ロウルズ「エイント・ザット・ラヴィン・ユー ("Ain't That Loving You")」、デルフォニックス (The Delfonics) 「ララは愛の言葉 (La-La (Means I Love You))」、プロコル・ハルム「青い影」、チャック・ジャクソン (Chuck Jackson)「ウィロー・ツリー ("Willow Tree")」といった英米音楽のカバーや、フィリス・ディロン (Phyllis Dillon) やヘプトーンズ (The Heptones) 、妹ホーテンス・エリス (Hortense Ellis) とのデュエットなど、ラブソングを中心に多彩な作品を発表した。
トレジャー・アイルでのエリスの人気ぶりに目をつけたコクソン・ドッドは好条件での再契約を申し入れ、1967年1月にこれを受け入れたエリスは、同年初頭にスタジオ・ワンのセッション・バンドであるソウル・ヴェンダーズとバッキングボーカルのケン・ブースを帯同し3ヶ月間イギリスに滞在、ツアーとレコーディングを行った。この時の録音はエリスのファースト・アルバム『シングス・ロック&ソウル ("Alton Ellis Sings Rock & Soul")』としてスタジオ・ワンから同年の内に発表された。しかし、このツアー後、再び金銭面でドッドと揉めたエリスは、腹いせにリン・テイト&ザ・ジェッツ、スーパーソニックスらとともに自らの異名を冠したアルバム『ミスターソウルオブ・ジャマイカ ("Mr Soul Of Jamaica")』を制作し、すぐにトレジャー・アイルから発表した。これを契約不履行として激怒したドッドはリードを相手取り訴訟を起こしたため、エリスは出廷を避けるためにアメリカ合衆国に逃亡した。3ヶ月後、エリスが自身の母親の訃報を受け帰国するとドッドの訴訟は取り下げられており、エリスはドッドと和解した。以後エリスはスタジオ・ワンとトレジャー・アイルという当時ライバル関係にあった2大レーベル双方で作品を発表できる数少ないアーティストの一人となった。

 

レゲエ誕生後の活動



1967年から1968年にかけて新たな音楽ジャンルであるレゲエが誕生し、メッセージ性の高いプロテストソングやDJによるトースティングといった新しい音楽のスタイルが流行すると、ラブソングを得意としたエリスも作風を変化させ、1970年にはロイド・デイリー (Lloyd Daley) のマタダー・レーベル (Matador) から都市部での貧困を歌った「ロード・デリヴァー・アス ("Lord Deliver Us")」を、1971年にはスタジオ・ワンからアフリカ回帰を呼びかけた「バック・トゥ・アフリカ ("Back to Africa")」を発表し、それぞれをヒットさせた。
この時期、レゲエの誕生により音楽産業がさらに発展したジャマイカでは、新しいレーベルが多く誕生したため、エリスはドッドやリードだけではなく、キース・ハドソン (Keith Hudson)、ソニア・ポッティンジャー (Sonia Pottinger)、バニー・リー、ハーマン・チン・ロイ (Herman Chin Loy)といったプロデューサーとも録音を行った。さらにエリス自身も「エリス (Ellis)」レーベルを設立し、自らの「マイ・タイム・イズ・ライト・タイム ("My Time Is The Right Time")」や「ザ・メッセージ ("The Message")」をプロデュースした。

 

渡英



1967年の初渡英以来、エリスは定期的に渡英しイギリスのプロデューサーとも仕事をしていたが、3年をカナダで過ごした後、1972年からイギリス・ミドルセックス州ノーソルト (Northolt)に移り住み、サウスロンドンに自らのレーベル兼レコード店オールトーン (All Tone) を設立した。
1977年にはトニー・ガッドの紹介で当時はまだ無名だったジャネット・ケイ (Janet Kay) を見出し、ミニー・リパートン「ラヴィン・ユー」のラヴァーズ・ロック版カバーをプロデュースし、オールトーン・レーベルから発表。同楽曲は全英レゲエチャート1位を記録する大きなヒットとなった。
1980年代に入り、ダンスホールレゲエの時代になっても、エリスはキング・ジャミーやヘンリー・ジュンジョ・ローズ (Henry "Junjo" Laws)、シュガー・マイノットなどのプロデューサー達とレコーディングを行い、1982年にはビートルズ「アンド・アイ・ラヴ・ハー」のカバーを発表した。

 

晩年の活動



1990年代、2000年代には新曲の発表こそ減少したものの、ライブを中心に活発に活動した。1994年には長年の音楽的功績を称えられ、ジャマイカ政府によってジャマイカ名誉勲章が授与された。
2001年にはフランスのバンドASPO (fr:About some Precious Oldies) とともにヨーロッパツアーを行い、その際のボルドー公演を録音したエリス唯一のライブ盤『ウィズASPO ("Workin' on a Groovy Thing")』を発表した。
さらに2002年には日本のバンドDreamletsと共演しアルバム『Lovely Place』を発表した。
2006年にはインターナショナル・レゲエ・アンド・ワールドミュージック・アワード殿堂入りを果たし、ニューヨーク市ハーレムのアポロシアターで記念式典に出席した。

 

闘病生活と死



2007年12月、エリスは悪性リンパ腫(血液のがん)と診断され、ロンドンの病院に入院した。しかし、化学療法と投薬治療が一定の効果を挙げ病状が安定したため、一ヶ月ほどで退院しライブを行うなどの音楽活動を再開した。
2008年6月25日にはジャマイカ・キングストンの国立体育館で情報・文化・青少年・スポーツ大臣オリビア・グランジの主催するコンサート「ゲット・レディ・トゥ・ロックステディ」に出演し、10曲を披露した。しかし、エリスは同年8月のロンドン公演中に倒れ、ウェスト・ロンドンのハマースミス病院に再入院し、10月10日にがんのため死去した。
エリスの死に対し、オリビア・グランジ大臣は「偉大なアルトン・エリスを弔うとき、ジャマイカのポピュラー音楽の発展における彼の記念碑的な貢献に感謝を表さずにはおれません」と弔辞を述べた。
11月3日、ジャマイカ・キングストン市ダウンタウン地区で葬儀が執り行われ、エリスの家族やジャマイカ政府関係者、ファン、さらにウィンストン・フランシス、ジョージ・ヌークス (George Nooks)、トニー・グレゴリー、ケン・ブース、ジュディ・モワット (Judy Mowatt)、カーリーン・デイヴィス (Carlene Davis) など多くの音楽関係者が参列し、エリスに捧げる追悼ライブを行った。

2010年9月3日金曜日

REST IN PEACE

 8月31日スタジオ・ワン(STUDIO ONE)の創設者コクソン・ドッド氏(COXSONE DODD)の妻
ノーマ・ドッド(NORMA DODD)が西インド諸島大学病院で死去した。彼女の年齢は60歳代後半だった。ノーマ・ドッドは「ジャマイカのモータウン」と賞賛されるジャマイカ音楽産業誕生の大きな基礎を築いた音楽レーベル、スタジオワン(STUDIO ONE)創設者コクソン・ドッド氏(COXSONE DODD)の妻としてレーベルの運営に大きく携わってきたことで知られた。2004年5月5日にコクソン・ドッドが心臓発作で死去してからはスタジオ・ワンの運営全般を担ってきた。またスタジオ・ワンから発表されたアルバムの作品ライナーノートを手掛けていたノーマ・ドッドだが、60年代にスカの音楽を発表したスタジオ・ワンのレーベルND RECORDSはノーマ・ドッドの頭文字をとったレーベル名であることも知られている。

         
ノーマ・ドッドの頭文字をとってND RECORDSと名付けられています

SPIT IN THE SKY / DELROY WILSON
タイトル SPIT IN THE SKY
アーティスト DELROY WILSON
レーベル ND RECORDS (STUDIO ONE)
 
 この曲のタイトル「Spit in the sky」は、直訳の通り「天(空)にツバ吐く」という意味で、この歌詞は「スクラッチ」ことリー・ペリーが書いています。この曲で「天(空)にツバ吐く愚か者」と口撃されているのは「番長」プリンス・バスターの事で、当時のサウンド(レーベル)の敵対関係の激しさが分かると思います(今のサウンドクラッシュネタの元祖です)。
 
 今までお疲れ様でした。あなた達が残した素晴らしい音楽は永久に不滅です。これからも精一杯STUDIO ONEをプレイさせて頂きます。R.I.P.Norma Dodd。

2010年9月1日水曜日

EASY SNAPPING

EASY SNAPPING / THEOPHILUS BECKFORD ( WORLDISC )
 Vintageセレクターのくせにsoulばかり紹介しやがってっていうクレームが私の友人からきましたので今日は・・・今日こそは(笑)Jamaica Skaを紹介します。この曲はコクソン・ドッドプロデュースの物でジャマイカンミュージックの歴史に残る大名曲です!!そしてこの曲が最初の「スカレコード」 言われてます。個人的にお気に入りのレコードです。詳細ですが(ミュージシャンBluse Blasters,ベースCluett Johnson,トロンボーンRico Rodrigues,サックスRoland Alphonso,ギターErnest Ranglin,ピア   ノ,オルガンAudrey Adams,Theophilus Beckford,レーベル(WORLDISC JA盤)JA Matrix #(KD-45- 110)Producer / Coxson Dodd 。